そろそろ
休憩するか。
僕の読点革命は、こうして終わった。
寂しすぎる青春の一部として、思い出すのもまた哀しい。
それでも、甘酸っぱいものは、甘酸っぱいままなのだ。
休憩するか。
僕の読点革命は、こうして終わった。
寂しすぎる青春の一部として、思い出すのもまた哀しい。
それでも、甘酸っぱいものは、甘酸っぱいままなのだ。
やっぱり、逃げる、ことに、する。
外に、逃げる、よ。
戦い、を、行う。
二年前は、負けた、戦争。
を同時に食べると、ガムが消えると、知ったのは、今までの、人生で、一番の、発見。
書いて、書いて、書きまくる。
一ヶ月後には、飽きて、やめちゃうかもしれないから、今のうちに。
が、半年くらい出続けた、去年の前半。
今年の前半は、まだ、出ていない。
サッカークラブのイベントで、対外試合をする際、ホテルや旅館ではなく、対戦相手の選手の家に2泊3日でホームステイをするというものがあった。
僕はチーム内で唯一友達といえる存在だった子と一緒になった。
(この辺は保護者等が気を使ってくれていたようで、こういった泊りがけの際、少人数での部屋割りの際には必ず彼と一緒にしてくれた)
一泊目の晩、夕食にカレーが出た。
でもお皿が出てきた瞬間、僕の頭がパニックに陥った。
「カレーの上にトンカツが乗ってる!ねぇ!?どうやって食べればいいのこれ!?ねぇ!?」
といった感じで、カレーにカツが乗っているというだけで、食べ方が分からなくなってしまった。
どうしようか右往左往しているうちに、横に座っていた彼が食べ始めた。
僕は思った。
「そうか!○○くんの真似をすればいいんだ!」
彼がスプーンを皿に入れ込む度に、僕はその一挙手一投足をまじまじと見つめ、それと同じような動作をして食べはじめた。
彼がカツをスプーンで切れば、僕もスプーンでカツを切る。
彼がカツにカレールーをかければ、僕もカツにカレールーをかける。
そんなことをやっているうちに気が付いた彼に、「真似すんなよ」といわれた。
そこではじめて僕は、
「あぁそうか!自分のやりたいように食べればいいのか!」
と思い、自分で勝手に食べ始めた。
僕は小学2年生から小学6年生まで5年間、サッカークラブに所属していたことがある。
うちの母親に対して不信感を覚えた最初のきっかけが、僕に無理矢理習い事をやらせた後(学習塾、英会話教室、スイミング、サッカー)、その習い事を始めた理由を僕がやりたいといったから、などという流言飛語を父母友達に言いまわっているということを知ってからだ。
そのサッカークラブは他のチームよりも厳しいところで、特に監督がかなりのしごき好きだった。
その監督の指導を受け始めたのは5、6年生の時期で、練習はひどく大変だったけど、元々持久力はあったほうなので、技術がなくてへましてしばかれたり、試合なんかで動き方が全くわからなくて(本当にサッカーをやめるまで全く試合でどう動けばいいか分からなかった)、やる気がないと勘違いされてえらく怒られたり、そういったものだけ我慢すれば、なんとかやっていけた。
サッカーは父親がやっていて(父親はこのクラブのコーチをやっていて、5,6年次は僕らの指導に監督とともにあたっていた)、よくある「父親の趣味、夢の押し付け」 の典型なのだけど、僕は全くサッカーに興味がなく、(信じられない話だけど)TVなんかでプロの試合すら一度も見たことがなかった。
ただ、高学年になったときに、「サッカーを見ると親のご機嫌を取れる」ということに"漠然と"気付いてからはなるべく見るようにはなった。
それでもサッカーチームは一つも知らないままで、TVで試合を見るといっても、僕の場合ボールがぽんぽこ動いているのが唯一楽しくて見ていたので、その当時の選手の名前も、試合の内容も、何一つ覚えていない。
そもそもサッカーをまともに見たことがなかったこと、それと、そもそも運動神経がまるでなかったことで、シュートやら、パスやら、そういう単純な練習は出来ても、ミニゲームとか、そういう試合形式の練習はまるで何一つ出来なかった。
そういう練習をするときは、ずっと頭が軽いパニック状態になっていた。
どう動けばいいか全くわからない、でも止まっているとやる気がないと非難される、それでパニックを起こして無駄な動きをする、そうするとまた怒られる。
もうどうしていいのか全く分からなかった。
家に帰ってからも父親にお前はやる気がない、という趣旨の話を永遠とされて、「いや違うんだ。動き方が分からないんだよ。どうやって動けばいいか、全く分からない。どうすればいいのか」なんてことは言えなかった。
チームメイトからもそのようなことでかなり嘲笑、非難されていたと思う。
当然そんな感じだと大会や公式戦はもちろん、他チームとの練習試合にも滅多に出ることが出来なかったけど、これは僕にとっては嬉しいことだった。
試合前にスタメンからはずされると、心の中でガッツポーズをしていた。
とにかく僕にとってはサッカーをするなんてことは生き恥をさらすことでしかなかったし、それ以上に自分の事が何一つ分かってもらえない理不尽さを痛感させられるためにやるようなものでしかなかった。
ある日のこと、その日は珍しく僕がスタメンに選ばれた。
その日参加していたトーナメントで負けてしまって、5位決定戦という消化試合だったので、僕以外にもいつも試合に出られない人も何人か選ばれていた。
僕は自分ではかなり頑張って、必死で走っていた。
でもチームのベンチ前でミスをしてしまったときに、監督始めベンチで座っていたチームメイト、保護者が僕のことを嘲笑していたのには、さすがに参った。
大会が終わって荷物をまとめているときに、僕の手前で話していた監督が4,5人のチームメイトに対して、僕の兄がいかにヘタレであったかということを話していたのにも、結構参った。
(僕の兄もサッカーをやらされていたけど、いじめられてやめてしまった)
結局そのサッカークラブからは小学校を卒業すると同時に自動的に卒業することになった。
僕が彼らに対して今は何も思っていない、という前提で生きているのは、彼らに対して鬱屈した思いがないというわけでは当然なく、ただ単に彼らから離れて生きたいから。
ほかに理由など何一つない。
「憎しみを超えて云々」だの、そんなことは一切思っていない。
ただ彼らとは一生かかわりたくない、というだけの話。
小学中学年の頃、下校前のホームルームの直前、いつも僕をなじっていた二人組みが僕の髪の毛を後ろから弄り始めた。
少しするとそのうちの一人が僕の髪の毛についていた小さな埃をつまみあげて、「○○の頭から変なものが出てきたぞ」と叫んだ。
するとクラス中が僕の方を振り返り、ホームルーム前で教室に待機していた40代の女の先生までが心配した顔でこちらを見る始末。
そしてその子はそのまま僕を立たせて、担任の先生の前まで連れて行き、その先生に髪の毛のチェックをさせた。
先生はきれいな髪の毛じゃない、といってくれたが、その日以降しばらく、僕のあだ名が不潔になった。
いや、あだ名というよりも、僕=不潔、という暗黙の了解がクラス中に広まってしまって、僕を拒絶する理由に「だって○○は不潔だから」という根拠が出来てしまった。
またゲームが、ノベルゲームが、作りたいなぁ。
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